Youtubeでエキセントリックな動画を見た。ゲストに乙武洋匡さんが居て、二人のMCがリモートで参加するというトーク番組だ。前後編に分かれた構成だったらしく、自分が見たのは後編だったと気づいて、いま前編を再生しながら書いている。

乙武さんは自分はもしかしたら五体満足で生まれて欲しいという母の願いを叶えられずに生まれたのかもしれないと話す。また、そんな自分を見てお母さんは、この子は一生寝たきりかもしれないと思ったという。その子が、寝返りを打つだけで。その子が、お座りするだけで。その子が、ひょこひょこと歩くだけで。お母さんは何度も、何度も、感動したそうだ。

この話にひどく共感した。僕たちは生きている間にそれこそ何度も、何度も、自分に落胆をする。けれど、もしかしたらその欠点も活かし方次第ではどうとでもなるのかもしれない。むしろ、積極的に欠点を認識すれば、ほんの少し何かができたというだけで、満点な気持ちでいられるかもしれない。

財布に千円あって、寝床も次の予定もなく過ごしている夜。ヒッチハイクのために入ったサービスエリアの端っこに集まっていた猫たちと一緒に、売店で買った缶詰をあけた。あの時の心の温かさたるや、尋常ではなかった。寂しさや心もとない気持ちと隣り合わせであることは間違いない。けれど、そんなことに全く注意がいかないほど、目の前の小さな幸せで胸がいっぱいになる。

選択肢が増えて、当たり前が増えて、生き方が増えて、文句が増えて、もっともっとが増えて、どれもこれも手を伸ばせば手に入る時代で、「何もないこと」これが自分なりの満点の取り方だ。満点の星々はいつも灯りのないところで輝く。

かつて、入ろうとしてギリギリで辞めてしまった大学入試の面接で、障がい者福祉について取り組みたいと力説していたことを思い出す。試験に受かった後、気持ちの変化という一身上の都合で自体する時も、イギリスにある 『キャンプヒル』という共同福祉コミュニティーに参加するため、と弁明していた。こうして少し振り返ってみても、とかく自分は、障がい福祉について興味関心を持っているんだなと思う。

小学校の帰り道、両親の営む福祉施設に立ち寄る(お父さん自身も足に障がいを持っている)。冷蔵庫を開けて、失敗したプリンの余りを見つけては食べる。同じ空間に、そこへ通う人たちがいる。ほっぺたを強打している人。電話帳をものすごいスピードでめくる人。大人だけれど、帰る時には親たちが迎えに来たり、喋り方が少しおぼつかなかったり、いろいろ特徴がある人たち。

もう一つ、大きな特徴がある。それは素直である、ということだ。問題もいろいろ起こっていたから良いところばかりではないけれど、いつも素直な雰囲気があった。6歳くらいからか、経験を積めば積むほど簡単に素直でいられなくなる自分は、この人目を厭わぬ素直さがとても素敵だと思う。

素直になるというだけで、全てが新鮮だ。

何もないに賭けて生きて生きて今、なんでもある暮らしに突入した。日々の特訓により、なんでもある暮らしにも少しづつ慣れた。やるべきことも見つけた。でも、揺り戻しはまた起こり、きっとそう遠くないうちに、何もない日々は始まることを忘れないでいよう。一度の人生で何度目かの輪廻を繰り返し、また一つ、また一つとお勉強している。嬉しいことや悲しいこと、その全部を自分の爪を研ぐことに注ごうと思う。