週末になると、京都にいるのがどこか忍びなく思えてきて県外へ出る。日が暮れ夜になり今から戻るのもなと思い車中泊を決め込む。最近はめっぽう寒く雪もちらほら降っている。それならばとエンジンを切り、今夜はネカフェに泊まることにする。シングルベッドサイズの6時間で1400円するフルフラットブースだ。

田舎のネカフェは比較的広い。ここはインター近くなので、多くのおっちゃん(トラックの運転手かな?)が出入りしているようだ。こちら、琵琶湖の東側には田園がある。特に、真っ平らな田園風景を見ると胸や肺からすぅっと力が抜ける。個人的に実家の窓から見る景色にそっくりで『リトル新潟』と名付けた。

京都で二年、1人の友達も作らず、こうして遠出を繰り返している。発掘したのは、朝陽の綺麗な湖のほとりや夏にぴったりな川床、隠れ家的焚き火スポット、優しい中華料理屋のママ、家庭的な味で飽きのこないイタリアンレストランくらいなものだ。

いつまでも暇を潰しちゃいられない、と思う。ということは先日の記事に書いた。一人の友人から「この投稿に出会えて助かった気持ち」とコメントを頂いた。きっと色々あるんだろうなぁ、と思う。そしてこれからもきっと、色々ある。でも全部、大丈夫。

画面を見つめ「大丈夫なんて軽々しく言えないよな」と呟く男がそこにいた。

昨年の冬から春に移り変ろうとするときに俺も色々あった。否、あれ以来、今までに1000回は反芻している。後悔のような懺悔のような、天気で言えば曇りのような(曇りは好きだけれど)、なんとも言えない気持ちが巡る。あの時、久しぶりにマジトーンで話を聞いてもらった結婚相手から授かった言葉を、ポケットから取り出すように思い出す。

「妻としてはお給料があると安心。
でも、神様だったらどっちも君の道だよって言う。」

そう聞いた時、笑ってしまった。あまりの素直さに、こぼれてしまった。自分の中で50:50だった気持ちが1%、続ける方へ動くのを感じる。決め手は第六感でもなく、勘ピューターでもなく、苦笑いだった。千明の言葉はとても素直に響いて、それだけで癒されてしまったのだと思う。素直さからはかけ離れたところで渦を巻いた出来事にヘロヘロだった俺にはそれこそが特効薬だった。

荒波に揉まれるのは大好きでも、心が荒れるのは好きじゃない。そんな俺が約1年ほども揺れていて思ったこと、それは「これロデオに似てる」である。かつて通いつめていたラウンドワンにあったアトラクション、跳ね馬の背に跨り吹っ飛ばされずに乗りこなす、というゲーム。

辺りが明るくなるまでスポッチャにいた俺は結構やったし、結構やれた。仲間内では一番のライダーだったと、いや、ロデ男だったと思う。あの遊びがここで繋がってくるなんて、ボタンの掛け違いが素晴らしい。そして、実体のロデオは乗りこなせばいいだけなのだけれど、心のロデオはもう一つ難しい。

それは、乗りこなしながら静めていくことだ。波に乗ることは波になればできる。けれど、波では波を静めることはできない。ぶつかって弾ける飛沫も美しい。宙を舞う鷹のように華やかだけれど、今回、俺が選んだのは泥の道だ。腰落とし泥んこ田んぼに足つける、踏ん張りの道。荒ぶる感情からの学びこそ、明鏡止水。ココロデオの練習は続く。

明日死ぬるかもしれない。